大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

熊本地方裁判所 昭和55年(ワ)621号 判決

原告

藤川哲夫

ほか一名

被告

西村重徳

ほか三名

主文

被告西村重徳、同藤川孝浩、同藤川忠孝は各自原告藤川哲夫に対し金一三四〇万四五〇〇円及び内金一二一八万四五〇〇円に対する昭和五四年五月七日から、内金一二二万円に対する昭和五九年一月二六日から各支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を、原告藤川佐千子に対し金一二二三万九八〇〇円及び内金一一一二万九八〇〇円に対する昭和五四年五月七日から、内金一一一万円に対する昭和五九年一月二六日から各支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を各支払え。

原告の被告西村重徳、同藤川孝浩、同藤川忠孝に対するその余の請求及び被告藤川重子に対する請求をいずれも棄却する。訴訟費用はこれを四分し、その一を原告の負担とし、その余を被告西村重徳、同藤川孝浩、同藤川忠孝の負担とする。

この判決一項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告藤川哲夫に対し金一四六三万四五〇〇円及び内金一三三〇万四五〇〇円に対する昭和五四年五月七日から、内金一三三万円に対する昭和五九年一月二六日から各支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を、原告藤川佐千子に対し金一三三三万九八〇〇円及び内金一二一二万九八〇〇円に対する昭和五四年五月七日から、内金一二一万円に対する昭和五九年一月二六日から各支払ずみまでそれぞれ年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五四年五月六日午後三時五〇分頃

(二) 場所 熊本県下益城郡砥用町大字畝野三四五六番地先緑川ダム提頂道路上

(三) 加害車 小型乗用自動車

(四) 右運転車 被告西村重徳(昭和三六年一月一一日生)

(五) 被害車 訴外藤川英夫

(六) 態様 被告西村が加害車を運転し、前記道路を砥用町柏川方向から同町船津方向に向け時速約八〇キロメートルで進行中、同所は道路幅員も約五・五メートルと比較的狭いうえ、前方は左方に彎曲していたのであるから、自動車運転者としては安全な速度まで適宜減速するは勿論、ハンドルを的確に操作して進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、単にギヤをシフトダウンさせて時速約七〇キロメートルに減速したのみで漫然左に転把して進行したため、自車の後部を右方に振り、狼狽のあまり右に転把し過ぎた過失により自車を道路の右側方に暴走させ、よつて折から道路右側端に佇立してダムを見物していた被害者及びその友人である訴外松原和敏(当時二四歳)に自車前部を激突させ、被害者を同所から約二〇メートル下方の岸下に転落させて脳挫傷により即死させたほか、右松原を路上に跳ね飛ばして加療約一年七ケ月を要する右下腿骨開放骨折等の傷害を負わせたものである。

2  責任原因

(一) 被告西村及び被告藤川孝浩はそれぞれ自己所有の自動車を運転して友人数名と共に本件事故の前日からドライブに出かけ、前記ダム附近で車の中で一泊し、本件事故当日もダム附近で遊び、被告西村が被告藤川孝浩所有の前記自動車を借受け運転中本件事故が発生したものである。

(二) 右の次第で、被告西村は、加害車の運転者として前記自動車運転上の過失に基き、右事故を惹起したものであるから、民法七〇九条に基づく不法行為者としての損害賠償責任があると共に、自賠法三条に基づく右自動車の運行供用者としての賠償責任がある。

(三) また右加害車は、被告西村の学友である被告藤川孝浩(昭和三五年一一月一八日生)名義で購入され、同被告においてこれを自己のため運行の用に供していたものであるが、同被告は、本件事故当時未成年で、父である被告藤川忠孝と同居してその扶養を受けており、本件自動車購入のための頭金一〇万円も右被告忠孝に支払つて貰つたのは勿論、その後の毎月四万二〇〇〇円宛二四回の割賦金の支払も事実上右被告忠孝の負担に頼らざるを得ない状態にあつたものである。

のみならず、本件加害車については、当時訴外安田火災海上保険株式会社との間にいわゆる自家用自動車保険(通称任意保険)契約が締結され(保険金額対人賠償一名五〇〇〇万円)ていたが、該保険契約上、被告藤川孝浩のほか、父である被告忠孝及び母である被告重子の二名が限定運転者(それ以外の者の運転中の事故については保険給付なし)とされており、現実にも被告忠孝及び被告重子の両名も平素右加害車を一家の保有車として運転使用していた状況である。

右諸般の事実を綜合すれば、被告藤川孝浩のみならず、その親権者で、かつ、監督義務がある被告藤川忠孝及び被告藤川重子もまた本件自動車の運行を事実上支配管理していたものというべく、右被告藤川三名は、いずれも自賠法三条に基づき、加害車の運行供用者として、前記被告西村と連帯して本件事故に基く損害の賠償をなすべき義務がある。

3  損害額

(一) 死体検案料等(砥用病院へ支払分) 金六万五〇〇〇円

(二) 葬祭費のうち、主なるもの

(イ) 葬儀代(御船弘益社へ支払分) 金四六万円

(ロ) 葬式及び本堂使用料(覚法寺へ支払分) 金一〇万円

(ハ) 葬儀用仕出し費用(桜寿司へ支払分) 金九万円

(三) 仏壇購入のため宝仁仏具店へ支払つた代金三〇万円、墓地購入のため熊本市へ支払つた金八万円並びに墓碑建立のため市川石工店へ支払つた代金一二〇万円総計一五八万円のうち、本件事故と相当因果関係のある分として 金五〇万円

(四) 亡藤川英夫の逸失利益

亡英夫は、昭和三一年一月九日生れで本件事故当時満二三歳の健康な男子であり、都合により高校を一年で中退した直後から塗装工見習として修業した後一人前の塗装工となり、一時上京して横浜市の塗装店に勤めたこともあつたが、昭和五三年一〇月から帰熊し、本件事故当時まで熊本市水前寺一丁目の塗装業富岡健一方に塗装工として働くほか、余暇には塗装業を営む友人方の手伝をもなし、一か月平均二〇万円の収入を得ていた。

而して右英夫は、本件事故がなければ満六七歳に達するまでなお四四年間は労働可能であり、その間塗装工としての収入をあげ得た筈である。

ところで、昭和五四年度ないし昭和五七年度各賃金センサス第一巻第一表による右各年度の企業規模計、産業計、男子労働者計、学歴計、年令計の年間平均給与額及び昭和五四年度を一とした場合の翌年度以降の上昇率は、別紙の該当欄記載のとおりである。

以上によれば、昭和五四年五月七日から昭和五七年末までの右英夫の得べかりし利益の喪失額は、生活費年五〇パーセントを控除し、かつ各年分毎に年五分の中間利息を控除して事故当時の現価を求めると、

昭和五四年分は

200000×12×239/365×1/2×1/1.05=748336

昭和五五年分は

200000×12×1.0798×1/2×1/1.10=1177963

昭和五六年分は

200000×12×1.1510×1/2×1/1.15=1201043

昭和五七年分は

200000×12×1.2023×1/2×1/1.20=1202300

となる。

さらに右昭和五七年度分を基礎として昭和五八年以降の得べかりし利益につき、生活費を五〇パーセント控除し、かつ年五分の中間利息を控除してホフマン式で事故当時の現価を計算すると、

200000×12×1.2023×1/2×19.3587(事故当時から67歳までの44年間のホフマン係数 22.9230より昭和54年から昭和58年まで4年間のホフマン係数3.5643を差引)=27929958

となる。

したがつて、逸失利益の合計額は、

748336+1177963+1201043+1202300+27929958=32259600(円)

となる。

(五) 慰藉料

亡英夫は、原告夫婦間の二男で、ようやく成人し、なお春秋に富み、その父母である原告両名がその将来に寄せていた期待と希望は大きかつたのであり、本件事故によつて亡英夫及び原告両名が受けた精神的損害に対しては、各原告それぞれに対し金六〇〇万円宛の慰藉料の支払がなされて然るべきである。

(六) 損害の填補

以上の次第で、

(イ)亡英夫の父である原告哲夫としては、その負担支払に係る前項(一)、(二)、(三)の合計金一二一万五〇〇〇円と(四)の逸失利益の相続分であるその二分の一並びに(五)の慰藉料との総計である金二三三四万四八〇〇円

(ロ)亡英夫の母である原告佐千子としては、(四)の逸失利益の相続分であるその二分の一と(五)の慰藉料との合計である金二二一二万九八〇〇円

の請求をそれぞれなすべきところ、自賠責保険金として金二〇〇四万〇三〇〇円が交付されたので、右のうち金一〇〇〇万円を原告佐千子の、その余を原告哲夫の各損害額の内金に充当差引すると、残金は

原告哲夫分 金一三三〇万四五〇〇円

原告佐千子分 金一二一二万九八〇〇円

となる。

(七) 弁護士費用

ところで、被告らは右原告両名の損害につき任意これが賠償をしないので、原告両名は、本件請求訴訟の追行を原告両名訴訟代理人に委任し、その着手金及び謝金として、本件請求認容額の各一割相当の金員を判決言渡日に支払うことを約したので、それぞれ

原告哲夫として 金一三三万円

原告佐千子分として 金一二一万円

を弁護士費用として請求する。

4  結び

以上の次第であるから、被告ら各自に対し、原告哲夫としては、合計金一四六三万四五〇〇円及び内金一三三〇万四五〇〇円に対する本件事故の日の翌日である昭和五四年五月七日から、その余の弁護士費用である金一三三万円に対する本件判決言渡の日の翌日から各支払ずみまでそれぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、原告佐千子としては、合計金一三三三万九八〇〇円及び内金一二一二万九八〇〇円に対する前同様昭和五四年五月七日から、その余の弁護士費用である金一二一万円に対する本件判決言渡の日の翌日から各支払ずみまでそれぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

(被告西村重徳)

請求原因第1項及び第2項はいずれも認める。同第3項は不知。

(被告藤川孝浩、同藤川忠孝、同藤川重子)

1 請求原因第1項(事故の発生)のうち、(一)日時(二)場所(三)加害車(四)右運転者(五)被害者は認め、(六)態様は不知。

2 同第2項(責任原因)について

(一) 同第2項(一)のうち、被告西村及び被告藤川孝浩がそれぞれ自己所有の自動車を運転して友人数名と共に本件事故の前日からドライブに出かけ、緑川ダム付近で車の中で一泊し、本件事故当日もダム付近で遊び、被告西村が被告藤川孝浩所有の自動車を運転中本件事故が発生したことは認めるが、被告西村が被告藤川孝浩所有の自動車を借受けたことは否認する。被告西村は、被告藤川孝浩所有の自動車を無断運転したものである。

(二) 同第2項(三)のうち、加害車が被告藤川孝浩(昭和三五年一一月一八日生)名義で購入され、同被告においてこれを自己のため運行の用に供していたものであること、同被告が本件事故当時未成年で、父である被告藤川忠孝と同居していたこと及び本件自動車購入のための頭金一〇万円を右被告忠孝に支払つて貰つたことは認めるが、被告藤川忠孝が被告藤川忠孝の扶養を受けていたこと、原告ら主張の本件自動車の割賦金の支払を被告藤川忠孝の負担に頼つていたことは否認する。また、本件加害車について、当時訴外安田火災海上保険株式会社との間にいわゆる自家用自動車保険契約(保険金額対人賠償一名五〇〇〇万円)が締結されていたこと、右保険契約上、被告藤川孝浩のほか父である被告藤川忠孝及び母である被告藤川重子の二名が限定運転者とされていたことは認めるが、被告藤川忠孝及び被告藤川重子の両名が平素右加害車を一家の保有車として運転使用していたことは否認する。いわゆる自家用自動車保険契約においては、特約により運転者を限定する場合には、運転者を無限定とする場合と比べて保険料が割安となり、しかも運転者の限定方式としては、運転者を三名以内に限定する方式(記名限定)及び運転者を特定運転者及びその同居の親族に限定する方式(家族限定)の二方式しかなく、その二方式のいずれかを選択せざるを得ない。したがつて、被告藤川孝浩は、保険料を割安とするために、右二方式のうちの家族限定方式を採用したまでのことである。

(三) 同第2項(三)記載の被告藤川孝浩のみならず被告藤川忠孝及び被告藤川重子をまた本件自動車の運行を事実上支配管理していた旨の原告らの主張は争う。

本件自動車は、被告西村に無断運転されたものであり、被告藤川孝浩には運行供用者としての責任はない。

また、本件自動車は、被告藤川孝浩が、昭和五四年二月二八日合資会社松本輪業から一一四万三〇〇〇円で購入したものであり、頭金一〇万円こそ被告藤川忠孝が負担したものの、第一回四万四八〇〇円、第二回ないし第二四回各四万三四〇〇円の割賦金及びガソリン代、自動車税、保険料、修繕費その他の経費は、いずれも被告藤川孝浩が当初から負担しているものである。さらに本件自動車は、被告藤川孝浩が同被告の専用自動車として購入したものであり、もちろん、被告藤川忠孝、同藤川重子両名において右自動車を運転使用していた事実はなく、右両被告は、本件当時自己専用の乗用車各一台を所有しそれぞれ専用車を運転使用していたものである。なお、被告藤川孝浩は、本件自動車購入前から就職しており、被告藤川忠孝、同藤川重子と同居こそすれ、実家に生計費を差入れており、自活できる経済状態であつた。以上によれば、被告藤川忠孝、同藤川重子が、運行供用者としての責任を負わないことは明白である。

3 同第3項(損害額)記載の各損害額の主張はいずれも不知ないし争う。自賠責保険金として金二〇〇四万〇三〇〇円が交付されたことは認める。なお、被告西村から原告らに対し本件損害賠償として昭和五四年七月一〇日に金一〇万円、同年七月三一日に金二万円が支払われている。

第三証拠

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  事故の発生について

請求原因1項(一)ないし(五)の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いがない甲第一六号証、第二一ないし第二六号証、第二九号証、第三一ないし第三五号証によれば同第1項(六)の事実が認められ、右認定に反する証拠はない(原告と被告西村重徳との間では右(六)の事実も争いがない。)。

二  責任原因について

1  原告と被告西村重徳との間で、請求原因第2項の被告西村の責任原因に関する事実は当事者間に争いがなく、これによれば同被告に民法七〇九条に基づく不法行為責任があることは明らかである。

2  次に、被告藤川孝浩、同藤川忠孝、同藤川重子の運行供用者責任の成否について判断する。

(一)  被告藤川孝浩について

本件加害車が被告藤川孝浩の名義で購入され、本件事故当時同被告においてこれを自己のため運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。

ところで、被告藤川三名は、本件事故は、被告西村重徳が本件加害車を無断運転中に惹起したものであり、被告藤川孝浩には運行供用者としての責任はないと主張するので、この点についてみるに、請求原因第2項(一)の事実のうち、被告西村及び被告藤川孝浩がそれぞれ自己所有の自動車を運転し友人数名と共に本件事故の前日からドライブに出かけ、緑川ダム付近で車の中で一泊し、本件事故当日もダム付近で遊び、被告西村が被告藤川孝浩所有の本件加害車を運転中本件事故が発生したことは当事者間に争いがなく、前記甲第二四、第三三、第三四号証、被告藤川孝浩(後記信用しない部分を除く)、同西村重徳各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、被告西村と被告孝浩は小学校及び中学校の同級生であり、高校は西村が県立御船高校を二年で中退、孝浩は熊本第一工業高校を二年で中退という状態で、その後就職したものの永続きせず職場を転々とし、本件事故当時は、同じ砥用町居住の一八歳前後で自動車を持つた友達らと一緒にドライブをしたりして遊び廻るグループに入つており、親密な間柄であつたこと、右被告両名は、前記のように事故の前日から自動車を運転して遊び廻つていたものであるところ、事故当日午後三時四五分頃ダム堤の広場で前夜から行動を共にしていた友人の原口啓三(当時一五歳)、山村邦喜(当時一九歳)らと話をしているところへ、被告西村の知合いの訴外富田某が目の前を車で通つたことから、これを見かけた被告西村が同人と話をすべく、偶々当日現場で自己所有車を他の友人に貸していたため、その場に停車してあつた本件加害車に乗り込み、右原口、山村の両名も同乗させて右富田の車を追いかけ、間もなく同人との話を済ませて引返す途中本件事故を惹起したこと、被告西村は本件加害車に乗り込む際、偶々被告孝浩がその場を離れていたため同被告の承諾は得なかつたが、被告孝浩は約一五メートル位離れた場所からその状況を目撃しながらこれを制止するような行為は一切しなかつたこと、なお、右被告両名らグループの間ではドライブ中にお互いの自動車を交換して運転したり、同乗者が運転を交替することはしばしば行われており、被告西村もそれまで本件加害車を数回運転したことがあつたことが認められ、被告藤川孝浩本人尋問の結果のうち右認定に反する部分は信用し難く、他に右認定に反する証拠はない。

右の事実によれば、本件においては、被告西村が本件加害車を運転するに際し、被告孝浩において明示的にこれを承諾した事実は認め難いものの、被告孝浩は、被告西村が本件加害車を運転して出発するのを比較的近距離で目撃し、制止しようと思えばできたのに、あえて制止することをしていないものであり、従前の右被告両名の間柄、行動特にそれまで相互に自動車を交換して運転するなどの行為がしばしば行われていたことを併せ考えると、被告孝浩は、被告西村が自己所有車を運転することを黙示的に承諾していたとみるのが相当であり、これらの諸事情に照らして考えると、被告西村が本件加害車を運転中に惹起した本件事故について、被告孝浩が運行供用者責任を負うことは明らかである。

(二)  被告藤川忠孝、同藤川重子について

本件事故当時被告藤川孝浩が未成年(一八歳)で父である被告藤川忠孝、母である被告藤川重子と同居していたこと、被告孝浩が本件加害車を購入する際被告忠孝において頭金一〇万円を支払つたこと、本件加害車について締結された自動車保険契約上被告孝浩のほか被告忠孝、同重子の二名が限定運転者とされていたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第三号証、乙第一ないし第五号証、被告藤川忠孝本人尋問の結果によつて成立の認められる乙第六号証の一ないし七、証人松本ミチ子の証言、被告藤川孝浩、同藤川忠孝、同藤川重子各本人尋問の結果、弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

(1) 本件事故当時の被告孝浩方の同居家族は、父母である被告忠孝、同重子のほか、忠孝の養父母である藤川次雄、藤川フクミ、被告孝浩の妹である睦子(昭和四〇年一〇月六日生)を含めて合計六名であつた。被告忠孝は、熊本バス株式会社に勤務し当時中央営業所長であつたところ、その給与、諸手当等を含めた総収入は月額二〇万円程度であつたものの、諸控除のほか労働金庫の借入金の返済として月約七万円を差引かれるため、手取額は通常の月で五、六万円程度であつた。その他、一家の収入としては、被告重子がタオル縫製の内職をして月額二、三万円程度の収入を得ており、また訴外次雄が恩給を受けている。

(2) 被告孝浩は、昭和五三年三月に熊本第一工業高校を二年で中退し就職したが永続きせず職場を転々とする生活を送つていたが、本件事故当時は訴外長島建設で大工見習として月に二〇日程度働き、月額六万円程度の収入を得ていた。本件加害車を購入するまではその収入を若干家庭に入れることもあつたが、自動車購入後は後記代金の月額支払のほかその維持費を捻出する必要に迫られ、家計を助けることは困難となつた。

(3) 本件加害車は、砥用町内の訴外松本輪業で購入したものであるが、代金総額は一一四万三〇〇〇円で頭金一〇万円を差入れた残額を、月額四万三四〇〇円宛(初回は四万四八〇〇円)割賦支払する約定で、その支払は被告孝浩においてなしていた。なお、右分割支払は、昭和五四年一一月までほば順調に支払われていたが、その後支払が遅滞するようになり、昭和五五年一二月には被告忠孝において遅滞分四〇万円を一括して支払つている。また、本件加害車の購入契約(書面は作成しなかつた)は、当初被告孝浩において買受の申込をなし、事後に父母である被告忠孝、同重子の了承を得たものであるが、被告忠孝は前記のように頭金を負担し、被告重子は被告孝浩と共に販売店に赴き正式に契約をして右頭金を支払うなどして、積極的に被告孝浩の自動車購入を支援する態度であつた。被告孝浩は本件加害車を自宅に持帰り駐車していたが、当時藤川家では、被告忠孝、同重子がそれぞれ普通自動車を保有し、訴外次雄も軽トラツク一台を保有していたため本件加害車を他の家族が使用することは殆どなかつた(右自動車には、購入後間もなく被告孝浩において車高を低くしハンドルを小型のものと取換えるなど改造を施していた)。

以上のとおり認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、藤川一家の生計の中心は被告忠孝であつたということができるが、前記一家の収入額は家族六人の生活を維持するにはあまりに低額(次雄の恩給額は不明であるが)であり、前記の如く四台もの自動車を保有しながら、格別生活に破綻を来たした形跡もないことなどからみて、藤川一家には他に相当額の収入があつたものとみるのが相当であり、しかも右収入は前記家庭の状況からみて被告忠孝にあつたものと推認するのが相当である。また、被告孝浩は、本件事故当時就職しており、月額約六万円程度の収入があつたとはいえ、これより月四万円余の割賦支払分を差引くと残額は一万数千円に過ぎず、日常の小遣いを差引けば、生活費はもちろん本件加害車の維持費さえ支出し得るか疑問であり、本件事故当時被告孝浩はその生活費はすべて被告忠孝の収入に頼つていたことになる。換言すれば、被告孝浩において本件加害車の割賦代金の支払が可能であつたのは、被告忠孝の援助があつたことによるものといわなければならない。

以上の事実を綜合して判断するに、本件加害車は事故当時被告孝浩が保有し、その使用も主として同被告においてなしていたものであるが、被告忠孝は右自動車の購入にあたり頭金を負担したほか、実質的には割賦代金の支払や自動車の維持管理にも欠くべからざる貢献をしていたことになり、同被告が未成年の被告孝浩の親権者でこれを監督すべき立場にあり、かつ被告孝浩と同居していることを併せ考えれば、被告忠孝は本件加害車の運行についてこれを支配管理していたものということができ、自賠法三条による運行供用者責任を免れないものといわなければならない(このことは、被告孝浩が本件加害車の保有者として運行供用者責任を負うことと何ら矛盾するものではない。)。

しかし、被告重子については、前記認定のとおり、同被告が内職により月二、三万円程度の収入を得て家計を助けていた事情はあるが、それも部分的なものにすぎず、同被告が本件加害車の購入やその維持管理に寄与していたものとみることはできないから、親権者としての同被告の立場や本件加害車について締結された自動車保険契約上同被告が限定運転者とされていた事情を考慮しても、同被告が本件加害車の運行供用者にあたるものとみることは困難である。したがつて、被告重子に対する本訴請求はこの点において既に理由がない。

三  損害について

1  成立に争いのない甲第四ないし第八号証、第九号証の一ないし三、第一〇号証、第一二号証の一ないし三、原告藤川哲夫本人尋問の結果によれば、原告藤川哲夫において請求原因3(一)ないし(三)の各損害を蒙つていることが認められる。

2  成立に争いのない甲第二七、第二八号証、第四五ないし第四八号証の各一、二、原告藤川哲夫本人尋問の結果及びこれにより成立の認められる甲第一三、第一四号証によれば、亡英夫は昭和四七年一月高校を中退して熊本市内で塗装工見習として働くようになり、昭和五二年四月には横浜市へ行つて塗装工としての修業を積み、昭和五三年一〇月帰熊して同市内の建築塗装店に塗装工として働いていたが、日給七〇〇〇円で毎月殆ど休みなく働き、少なくとも月平均二〇万円以上の収入を得ていたこと、昭和五四年ないし五七年度各賃金センサスを基礎として算出した昭和五四年度を一とした場合の翌年度以降の賃金上昇率が別紙該当欄記載のとおりであることが認められる。そして、亡英夫は、本件事故がなければ満六七歳に達するまでなお四四年間は労働可能であつたとみることができる。

右によつて算出される亡英夫の賃金額(昭和五四年ないし五七年分)、就労可能期間を基礎とし、生活費五〇パーセント、年五分の中間利息を控除して計算(計算式は原告主張のとおり)すると、本件における亡英夫の逸失利益は原告主張のとおり金三二二五万九六〇〇円となる。

3  本件事故のため原告らの二男である亡英夫が二三歳の若さで死亡したことによつて原告らが受けた精神的苦痛は計り知れないものと認められる。本件事故の態様、後記の原告らが受けた自賠責保険給付の中には亡英夫自身の慰藉料が含まれていると推認されるにも拘らず本訴においてこれを請求額に加えていないことなど諸般の事情を併せ考えると、原告らに対する慰藉料としては各金五〇〇万円宛が相当である。

4  以上のとおりであつて、(一)原告哲夫は1の合計金一二一万五〇〇〇円、2の逸失利益の相続分であるその二分の一金一六一二万九八〇〇円、3の慰藉料の総計金二二三四万四八〇〇円を、(二)原告佐千子は2の逸失利益の相続分であるその二分の一金一六一二万九八〇〇円、3の慰藉料の総計金二一一二万九八〇〇円をそれぞれ請求することができるところ、原告らが自賠責保険金二〇〇四万〇三〇〇円の交付を受けていることは当事者間に争いがなく、また被告西村から原告らに対し本件損害賠償として合計金一二万円が支払われたことは原告らにおいて明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべく、このうち一〇〇〇万円を原告佐千子の、その余を原告哲夫の各損害額の内金に充当すると、残額は、原告哲夫金一二一八万四五〇〇円、原告佐千子金一一一二万九八〇〇円となる。

なお、本件事故と相当困果関係のある弁護士費用としては、原告哲夫分金一二二万円、原告佐千子分金一一一万円が相当である。

結局、損害額は、原告哲夫分金一三四〇万四五〇〇円、原告佐千子分金一二二三万九八〇〇円となる。

四  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、被告西村重徳、同藤川孝浩、同藤川忠孝に対し、原告藤川哲夫において各自金一三四〇万四五〇〇円及び内金一二一八万四五〇〇円に対する本件事故の日の翌日から、内金一二二万円に対する本件判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の、原告藤川佐千子において各自金一二二三万九八〇〇円及び内金一一一二万九八〇〇円に対する本件事故の日の翌日から、内金一一一万円に対する本件判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度で理由があるから認容し、右被告三名に対するその余の請求、被告藤川重子に対する請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 弘重一明)

別紙

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例